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団塊の世代が理解出来ない。
コラム326(2007/09/25)より

 会社の中で、なぜか私に愚痴をこぼしに来る人がいる。私よりも若い世代が私に愚痴をこぼすのならまだ理解出来ないこともないが、そうではなくていい歳をしたおっさん達が私に愚痴をこぼすのだ。あまりにもそういうケースが多いので、ちょっとうっとおしいことも多少はあるが、それでも我慢して聞いていて、あるひとつのパターンがあることに気がついた。この世代のおっさん達は所謂『団塊の世代』なのだが、この世代の人って、結構体面重視なのである。どういうことかというと、例えば社内でAという問題があるとする。そのAの問題に対して「会社側」が自主的に改善しようとせず、放置していたとすると、『団塊の世代』のおっさん達は行動を起こす。が、それはどんな行動かというと、管理職や、そこそこ話を持っていきやすい役員くらいの段階の人に、「Aに対して改善して欲しい」という要望を言う。この「言うこと」がどうも主目的であるようなのだ。つまり、本当のところ、Aという問題を解決、あるいは改善することが目的なのではなく、おっさん達にとっては「会社に対して俺はこう言った」という「言った」姿勢の部分が最大のポイントのようなのである。で、それでも会社側が動かなかったとすると「俺は会社にこう言ったのに、会社はうんと言わない」などと言う愚痴を私にこぼしに来るのだ。私はそんな一連の話を聞いているから、その愚痴に対して、会社が問題点のAを積極的には改善したがらないのなら、会社に頼らずに解決する方法は何かないかと考えて、その方法を提案したりするわけだが、そのおっさん達には、そういう部分には全く関心がなく、まるで私の論点がずれているとでも言うような顔で「でも、俺は会社に文句を言ったんだが、会社が・・・」などとまだ言っているのであって、なんかプフッと笑っちゃうのだ。
 厳しく言えば、いくら正義の味方ぶって「会社に抗議した」なんていう格好の部分をアピールしたところで、結局、結果がついてこなかったのなら、会社に何も言わなかった人と大して変わらないと、結果主義の私は思ってしまうのだが、それはおかしな考え方なのだろうか。まあ、理不尽なことに抗議の声を上げることは必要だけれど、もっと大切なのは、理不尽なことを解決することだ。会社が簡単に動かないのなら、動くように話を持っていくように策を練るのが当然だし、または動かざるを得ないくらい過激な抗議行動をするか、最初から別の筋道を考えて問題解決に当たれば良かろうものなのに、そういう気持ちは毛頭ないところが、私には全く理解できない。「俺は言った」「俺はこう文句を言ってやった」、だから「俺は責任を果たした」が、「結果が伴わないのは俺の責任じゃない」という自己弁護がしたいのか?そうしなければ「正義に燃えたぼくちゃんの体面が保たれない」などと思っているのか?
 ハッキリ言ってどうでもいいぜ、おっさんよ。



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